越智選手インタビュー(前編) Interview

越智亮介01

越智選手の好きなお好み焼きを食べながら・・・

--まずは、その生い立ちからお聞きしたいのですが、愛媛県は、今治市の出身ですよね?

はい、今治市の常盤小学校の学校区で育ちました。

--サッカーは6歳から始められたと以前お聞きしたのですが

そうですね、通っていた幼稚園の園長先生がすごいサッカーが好きで、その幼稚園のたくさんの子供がサッカーで遊んでいましたね。幼稚園自体がサッカー教室も持っていて、小学校3年生くらいまでの子供が一緒にサッカーやっていた記憶があります。
あと、やはり2つ上の兄の影響も大きいですね。

越智亮介03--その幼稚園のサッカー教室の思い出はありますか?

どの大会に出てもいつも勝ってたイメージがあります。みんなうまかったです。

--越智選手もやっぱり幼稚園の時からうまかったですか。

うまかったと思います。はい、うまかったです。

--愛媛、特に今治市は野球が盛んだと思うのですが、野球ということは考えなかったのですか?

小学校に行ったら、幼稚園でサッカーやっていた友達も結構、野球に行きましたね。でも、兄の友達とかとサッカーするのが楽しかったし僕は、サッカーを自然に選んでました。

--小学校はスポーツ少年団に入っていたのですか

はい、今治イーグルスというチームで、たぶん2年生くらいから入っていたと思います。

--やっぱり小学校の時も選抜チームへの召集とかありましたか

僕が小学校4年生くらいの時に兄が東予トレセン(※)に選ばれて、それに僕も付いていっていたら、そのまま入ることになって、一つ上の学年のトレセンとかにも参加していました。その後も、愛媛県トレセン、四国トレセンまでは残りましたね・・・。

※ トレセンとは・・・正式には「トレーニングセンター制度」。日本サッカーの強化、発展のため、将来日本代表選手となる優秀な素材を発掘し、良い環境、良い指導を与えることを目的とした制度のこと。

--その後、今治市の小学校を卒業して、いきなり高知県の明徳義塾中学校に入学することとなるのですが、これは何か理由があったのですか

僕が小学校6年生の時に四国トレセンの選考会があって、その時たまたま明徳義塾の方が見に来られていて、その方にお声掛けいただいたのがきっかけです。

--中学生でいきなり親元を離れることで不安とかはなかったですか

寮生活だったんですが、楽しかったですね。兄のトレセンについていってた時に仲良くなった先輩の人なんかもいて。

越智亮介02--明徳義塾の時も、常に試合に出ていたのですか

そうですね、1年目は試合に出れていたのは、同じ学年で僕だけでした。2年生のころからスタメンに定着して、試合に出てました。

--そのまま順当に明徳義塾中学校を卒業されたのですか?

いや、それが大きな事件がありまして、中学校2年生の夏の前の四国大会で、明徳の監督の知り合いでもある大分トリニータのユースの強化担当者が見に来ていまして。その方に大分トリニータユースへの誘いを受けました。

--そのまま大分トリニータユースに入ったのですか?

いや、それが、その方は僕を中学校3年生と思っていたみたいで、でも、僕は、まだその時2年生で、あと1年半も先の話でした。

--その後、どうされたんですか?

僕は、中学校を明徳義塾に行くと決めた時から、サッカーで県外の強いチームに絶対行くという強い思いがありました。
大分トリニータのユースには絶対入りたかったのですが、明徳義塾中学校は中高一貫教育だから、このまま学校に残っていると
学校にも迷惑がかかってしまうと思い、思い切って明徳義塾中学校を辞めることにしました。

--ということは、一旦今治の方に戻られたということですか。

そうです。日吉中学校に転校して、中学校3年生の最後の大会は、日吉中学校の選手としてプレーしました。

--すごい中学校時代ですね、それじゃ小学校時代の仲間とまたサッカーしたわけですね。

はい。結構みんなうまくなっていて、これはこれで良い思い出になりました。

--と、いろいろなことがありながら、大分トリニータユース(大分トリニータは当時J1)に入るわけですが、ここはさすがにみんなうまかったですか。

はい、入ってすぐはついていけなかったですね。ユースの中でもAとBとチームを分けられるのですが、Bの方でもなかなか試合に出ることができないような状況でした。でも、この時もくさらんようにだけはしようということは心がけていました。
高校2年生のころからスタメンが半分半分という状況で、徐々に試合に出られるようになりました。

--そのころのポジションはどこをやっていたのですか。

中学校までは、主にトップ下で、攻撃的なところを任されることが多かったのですが、ユースの時はゴールキーパー以外は全てのポジションをやらされました。FWだけをずっとやっている時もあったし、DFだけをやっている時期もありましたね。

越智亮介04--そのことで気付いたこととかはありましたか

やっぱり攻撃の方が好きというのは思いましたね(笑)。でもサイドバックからのロングパスを前線に通すっていうことも気持ちよかったです。
たぶん、このことがきっかけでもあったと思うのですが、パスをするようになりました。これまでの自分はドリブルに自信があってドリブルばっかりしていたのですが、パスにも力を入れるようになりました。

--プレースタイルに変化が出てきたのですか

そうですね、ユースでプレーするまでは、結構自分は、スピードのある選手だと自分で思っていました。でもそれがユースではあまり通用しなかった…。自分はスピードだけでは限界があるなということも気付いて、高校2年生から高校3年生に掛けてプレースタイルを変化させていきましたね。結果、試合にも多く出れるようになりました。

--もちろんそのまま大分トリニータのトップチームに入りたいという思いは強かった。

はい、でも結果、トップ昇格はなりませんでした。でも当時の進路指導の担当の方にJ2でも良いのでプロになるためのテストを受けさせてくださいと頼みこみました。その際に、チームで紹介されたのが愛媛FCでした。
その後、何度か練習参加をして、愛媛FCへの入団が決まりました。

インタビュー後編へつづく・・・

越智亮介_小



■越智亮介 選手
ポジション : MF
生年月日 : 1990年4月7日
身長/体重 : 169cm/62kg 
出生地 : 愛媛県今治市
血液型 : O型
前所属チーム : 大分トリニータユース