スペシャルインタビュー OrangeLife VOL.9


──2年前の初対面まで、互いにどんな印象を抱いていましたか?

福田「名古屋グランパスエイトの頃、同期入団の伊藤卓さんがベンさんと同じユースの日本代表で「愛媛出身でいかついけど、すごく面白い人がいるよ」って聞いてました。僕が愛媛出身だと知っていて教えてくれたんです。だから、なんとなくこんな人だろうなって」

大木「最初はフクが愛媛出身だと知らんかった。外国に行くようになったじゃん?その頃に新聞で見て、愛媛の人なんだって知った。気が強いFWなのかなって印象」

福田「確かにやんちゃでした(笑)。でもベンさんのプレーは繊細で、チームで一番上手い。いるといないとでは全然違う。ここにボールを渡しておけばおさまるし、サッカーのIQが高いというか、そういうところはドンドン吸収したいですね。ほんと、この風貌からあんな繊細なタッチをするとは思わなかった(笑)」

大木「(笑)フクは想像していた通り。泥臭いプレーができて、気が強いFW。でも、こんなに性格が天然だとは思わなかった(笑)」

福田「天然かなぁ?」

大木「自分でわかってないのが天然なんよ」

福田「そんなことないですよ!じゃぁ、僕も言っていいですか?!超音波の新しい治療器具があったんです。「新しいやつだから使い方分かるかな?」って思いながらベンさんを見てたんです。本当は黒いゴムのキャップを外してゼリーを塗ってから使うんだけど、ゴムを外さずにそのまま塗っちゃって。結局、最後はそれをそのまま足に当てて(笑)。しかも2回ですよ!」

大木「新しいけん、分からんかったんよ(笑)」

福田「その後、石井謙伍も同じことやってました!もちろん誰も使い方を教えずに、周りでみんな「やれ」って感じで見ていただけですけど。そしたら案の定、同じ事をやって(笑)」

──では実際に、一緒にプレーをした印象は?

福田「僕の場合はとりあえず、前線にいたら「ベンさん見つけるから」って思っているし、実際にそういう言葉もかけたと思う。僕がいい動きができればパスが出てくる。あとは「いい動きをしてマークを外すだけだな」っていつも感じてた。言葉を多くかけなくても理解してくれるので、そこは一緒にやって何の不安もなくプレーできます」

大木「まず驚いたのはヘディングの強さ。そこまで背が大きくないのに、ほとんど競り勝つ。FWの片割れとしたら、ヘディングに勝ってくれると思って走り込まないといけない。あんなに昔から強かったの?」

福田「そうですね、ヘディングだけは負けなかったですね」

大木「それはイメージになかった。今はヘディングが強いイメージかな」

──今は愛媛で一緒にプレーしていますが、2人がサッカーをはじめたのも愛媛でした。

大木「親の勧めで、兄弟で始めました。小2の頃かな」

福田「僕は兄貴の影響で。9人ギリギリでソフトボールをやってたんですけど、ひとり転校して解散しちゃって・・・。それで小2の頃にはじめましたけど、当時はキャプテン翼の影響もありましたよね。兄についていく形でしたね」

──「プロサッカー選手」になりたいと考えたのは?

福田「小学校でサッカーをはじめて、ずっと好きでした。そしたら千葉にいた中学の頃、姉妹都市からブラジル人の交換留学生がやってきて、ホームステイをしてたんです。その子が「ブラジルでプロになって、ゴールを決めたら家が建つんだぜ」って言うんです。それに単純に「ブラジルに行こう」って思うようになって。高校の志望校の欄に「ブラジル」って書いて怒られた覚えがあります(笑)。当時は日本にプロがなかったですから」

大木「大学の頃にU-20の日本代表に選ばれて、自分にとっては同じ代表のメンバーがみんなJリーグでやってた。自分は大学生だったけど、代表でやれたことがプロでもやれるかな、っていう地震になりましたよね」

──日本代表と言えば、先日のアジアカップでは日本代表が優勝しました。今でこそ、アジアで日本が勝つことが当たり前のようになりましたが、ワールドユースで最初にアジアを突破したのが大木選手の世代でした。

大木「僕らの時と、今の選手は目指しているものが全然違う。まず世界への出場権を獲得することが僕らの最大の目標だったから」

福田「僕らはその次のワールドユースでした。だけど前回の大会はベスト8でしたっけ?予選でスペイン代表と対戦して、そこにはラウール(レアルマドリード~シャルケ04)もいたんですよね」

大木「決勝トーナメントでブラジルに負けてね」

福田「だから、僕らの目標としてはワールドユースに出ることが大前提になりましたね。常に世界を意識する、っていうことは山本昌邦監督(アテネ五輪代表監督=解説者)やコーチも、そして選手も常々話していました。山本さんは世界、世界ってそれが口癖みたいで、当時はパススピート、シンキングスピード、3つのスピードが必要だと言っていて、あとひとつは・・・」

大木「フィジカルスピード。言ってたね」

──その大会で印象に残っていることは?

大木「僕が点を取った場面は覚えてる。チリ戦でツートップのヤス(安永聡太郎=元・横浜FM)が突破して、ゴロのセンタリングをくれて。キックフェイントで相手をかわして左足でシュートを決めた。それは覚えてる。(当時の自分の出場記録を見て)あ、ほとんど全試合で90分出てる!すごい(笑)」

福田「体力あるじゃないですか(笑)。僕はほとんど途中出場でしたね。1点取ったのはどこだったかな?コスタリカかな。僕のゴールは大野(敏隆=元・柏)だったかな?シュン(中村俊輔=横浜FM)だったかな?忘れたけど、パスが出てきて裏を取って、キーパーと1対1で決めました。僕は世界に出たとき、人種が違うとこんなにプレーが違うのかって思いました。全く違う身体能力には驚かされました。日本人なら抜けてるところで、足がニョキッて出てくる。世界って凄いな、って漠然と感じました」

──愛媛でサッカーをはじめて、世界に出て、また愛媛に帰ってきました。愛媛ではどんなサッカー人生にしたいですか?

福田「僕の場合、愛媛は10歳までの記憶だけど、愛媛で生まれたことは自分の中では大きな意味でとらえています。最初、愛媛からオファーがあった時に正直迷いはありましたけど、特別な意味がある場所だといつも思っていたので、ここで何か貢献したいと考えました。去年、愛媛でプレーをして、日本のサッカーはスピードがあって色んな意味で難しさも痛感しました。今年はまず1年間怪我をせず、自分の力をしっかり出したいと思っています」

大木「一緒ですね。愛媛のために何ができるか。自分には何ができるか、今はまだ分からないし答えはないけど、選手であるうちはチームのために一生懸命やることがベストなのかなって」

福田「僕らベテランと言われる選手には、ひとつの責任があると思う。そこで愛媛をJ1に上げる、ということは僕らにとっても一生の財産になると思います。またひとつの勲章になるし、そのために100%を捧げたいですね」

ファンクラブ専用ページにはオレンジライフに載せきれなかったインタビュー全文を掲載しています!

ファンクラブ専用ページログインはこちらから
2011シーズンファンクラブ入会方法についてはこちら

福田健二 [新居浜市出身]
習志野高校を卒業後、名古屋グランパスエイトに。J1通算156試合40得点、J2通算29試合7得点。パラグアイやスペインなど海外でも活躍し、Jリーグに復帰した。U-20日本代表では宮本恒靖(ヴィッセル神戸)や柳沢敦(ベガルタ仙台)らとともに1997年のワールドユースでベスト8に進出。
大木勉 [松山市出身]
青山学院大学を中退後、サンフレッチェ広島に。J1通算154試合28得点、J2通算115試合16得点。U-20日本代表では中田英寿や山田暢久(浦和レッズ)らとともにプレー。初めてアジアユースを勝ち抜き、1995年にカタールで行われたワールドユースへの出場権を得た。本大会でも全試合で先発、ベスト8進出に貢献。